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東海道五十三次とは

江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指します。
古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられました。
なお五十三次と称す場合は京都までの場合であり、さらに大阪までを加えて東海道五十七次とする説もあるそうです。
また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄醍(おさか)駅まで55駅が設置されています。

本陣(ほんじん)とは

「本陣」とは本来、戦の際に軍の総大将のいる本営のことを指していましたが、
休泊施設としての起源は、室町幕府の二代将軍足利義詮が上洛に際して、
その旅宿を本陣と称し宿札を掲げたことに求められます。
そして江戸時代には街道を往来する大名や公家等、貴人の休泊施設を指す
ようになりました。

東海道五十三次本陣跡

一里塚(いちりづか)とは

旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約4km)毎に設置された
土盛りだそうです。
現在は石碑であったり看板であったり、その跡を残しています。
土盛りの側に榎などの木を植えたり、標識を立てたりしていたいわゆる街道の
マイルストーンと同様であり、一里塚は中国にも存在するそうです。

東海道五十三次一里塚